菊池武光公の足跡:大刀洗公園|福岡県三井郡大刀洗町
先日の投稿(こちら)で、お盆のお参り道中でJR田主丸駅に寄って、カッパの駅舎を眺めた景色を投稿しました。今回は、その続き(帰り道)の景色で、日本の歴史を、少しだけ掘り下げた投稿になっています。
「そう言えば、大刀洗町って!?」
まずこの日の往路で、大刀洗町を通っている時に、ピンときたんですよね。
誰か武将が戦いの後で太刀を洗って、その地名になったと記憶していました。熊本の菊池一族の誰かだったと思うけど、、、
ということで検索してみると、先日の花火投稿(こちら)で紹介した、菊池武光公が太刀を洗ったことから、その地名になったようです。
(今は便利ですよね。スマホですぐに調べられるから。)
そこで、お参りの帰り道で、大刀洗公園に寄りました。
菊池武光公は噴水の向こうで、馬を引き、立っています。
あまり知られていない菊池武光公の足跡。
1300年代に鎌倉幕府が倒れて室町幕府が開かれた頃と、時を同じくして、北朝と南朝に天皇家が別れ、50年ほど争いが続いた南北朝時代の武将です。
菊池家は南朝側(後醍醐天皇側)に立ち、九州を平定します。
その際に、三井郡・小郡市・久留米市付近で、日本三大合戦のひとつ「筑後川の戦い」で激しい戦いを繰り広げたとされています。(他の二つの合戦は有名な「関ヶ原の戦い」と「川中島の戦い」です。)
熊本県菊池市の市民広場にある銅像は、躍動感が表現された素晴らしい銅像です。
ここ大刀洗公園の銅像は大きな動きは無いものの、武将の威厳が表現された立派な姿になっていると思います。
公園の中を流れる川と、暑さに負けず子どもたちが遊んでいた遊具。
遠く離れた熊本県菊池市と、ここ大刀洗町が繋がり、歴史を感じるひと時。
今回のブログを書くにあたり、いろいろ調べてみると、僕が巡っている景色のいくつかが、歴史の糸で繋がってきました。
戦いで人が沢山亡くなっていることを「歴史のロマン」と表現して良いのか、考えてしまう面もありますが、私たちが見ている景色は、武将ら歴史の偉人たちも眺めてきた景色なんだと思います。
また、血が流れながらも、その視線の先には「志し」や「願い」があったんだと、僕は思います。
(もちろん戦いなんて、無い方がいいですけどね。)
”歴史の偉人の志しを辿る”
そんな旅も素敵だと思った、2023年の暑い夏の日でした。
この日のカメラは
camera: nikon z6ii
lens: フォクトレンダー apo-lanthar 35mm
マウントアダプターETZ21使用(E→Z)